- 知る
知の開拓者たち
先端医療と法律にまつわる諸問題

法学学術院 法学部
講師
原田香菜
はらだ・かな
岡山県生まれ。早稲田大学大学院法学研究科民事法学専攻博士課程 単位取得満期退学、博士(法学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター公共政策研究分野特任研究員などを経て、23年より現職。担当科目は「先端科学技術と私法」など。研究分野は医事法・民法(家族法)。新たな医療技術に関わる個人をめぐる課題、生殖補助医療と法的親子関係のあり方や生まれてくる子の権利・利益をどのように守るかに関心を持つ。
取材・文=若木康輔 イラスト=山中正大
医療技術の進展と共に法律もアップデート




1割が体外受精で出生
現実に合わせた法整備を
──原田先生の主な研究テーマは「先端医療と法律」ですよね。
原田 はい。研究者としての軸足を医療と法、あるいは医療とそれを取り巻く家族と法の関係に置いています。法律の中でも民法と医事法ですね。複数のテーマを抱えていますが、私が今、一番力を入れているのは生殖補助医療です。生殖補助医療によって生まれた子どもを巡る、法的親子関係や子どもの権利についての課題に取り組んでいます。
──体外受精などに関する法律が、まだ万全ではないのですか。
原田 生殖補助医療法が2020年に民法特例法として成立しました。提供卵子によって懐胎し出産した場合は、出産した女性を子どもの母と規定するなど、第三者のドナーが関わるケースでは、今国会でも新法案が審議されているのですが、夫婦間での生殖補助医療に関してはまだ法律がないんです。
現在は10人に1人が体外受精で生まれている時代です。それなのにルールが存在しないケースがあれば、困ってしまう個人が必ず出てきます。一番影響を受けるのは、生まれてきた子どもです。子どもが全てその身に受けなければいけません。ですので、生殖補助医療と家族と法の関わりの中でも特に、生まれてきた子どもの権利や育っていく環境を守るためにどう対応すべきか。そこにアプローチする研究が、私のメインのフィールドです。
──このテーマを研究するようになったきっかけは何ですか?
原田 私が早稲田の学部生だった頃のある判例が、きっかけになりました。凍結保存していた精子を用いて、男性の死亡後に体外受精して出産された子どもと男性との親子関係の認知を求めて提訴し、最高裁判所まで争われた事例です。
──判決は?
原田 06年に出た判決は、男性と子どもの間に「法律上の親子関係の形成は認められない」とするものでした。判決文を丁寧に読むと「父」という単語は出てくるんですね。裁判官も遺伝的には親子だと認めている。しかし、民法が父親と※死後懐胎子の親子関係を想定しておらず、そのような立法がない以上、法律上親子とはいえないと。
ゼミでこの判例を扱ったとき、生物学的親子関係と法的親子関係の間に矛盾がなぜ生まれるのか腑に落ちず、家族法がご専門の岩志和一郎先生を訪ねて疑問をぶつけたら、親権とはそもそも何かから始まり、法的親子関係は必ずしも血縁だけではないというお話を聞かせてくださったんです。「親子法制の根幹は、子どもの利益を最優先して育てることにある」という先生の言葉に感銘を受けるとともに、表面的な理解で分かったつもりになってはいけないと考え、大学院に進んで岩志先生の研究室で学ぶことにしました。
※死後懐胎子
父親の死亡後に、その保存精子を用いた人工生植によって女性が妊娠し、出産した子ども。
出典:日本産科婦人科学会 2022年ARTデータブック
『2022年 体外受精・胚移植等の臨床実施成績』
https://www.jsog.or.jp/activity/art/2022_JSOG-ART.pdf
発展を続ける医療技術
法律は追い付けるのか
──そうなると、法律と同時に先端医療の勉強も必要ですね。大変ではないでしょうか。
原田 何かを突き詰めて調べることがもともと好きで、実は高校生の頃は生物学の道に進むかどうか悩みました。そのため、新しい医療と法の関係に取り組むからには、技術についてもきちんと理解したい気持ちは当初から大きくて。それで最初に就職したのが、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センターの公共政策研究分野でした。再生医療の倫理的問題について支援を行う研究班で、ここで生命科学の最先端技術や研究に実際に触れ、かなり鍛えられました。
──では、医療技術の進展のスピードに法律が追い付かなくなっていくのを間近で見てこられたのでしょうか。
原田 法律も、社会や技術の発展に合わせて更新はされています。日本の場合、民法は日常生活全般に適用される一般法です。一方、特定の分野や事項についてのみ適用される法律は特別法となります。それでも進み方が早くて既存のルールの網の目を抜けてしまい、結果的に個人が紛争に巻き込まれる場合があります。また、そもそも立法自体がない場合もあります。
例えばヒト胚は、01年に施行されたクローン技術規制法にぶら下がる形で「特定胚取扱いに関する指針」が作られ、それに該当する特定胚の取り扱いについては法令が定められています。それに、「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」が研究全般に規制の網をかけています。ところが、一般的な体外受精で得られたヒト胚だけについて定めた法律は、まだないんです。
──今後、それはやはりあった方がいいのでしょうか。
原田 それは、一研究者が語りにくい話ではあります。すごいスピードで進む技術を法律で網羅する作業がどれだけ困難か、分かりますから。とはいえ、ヒト由来物質に特化したルールはあったほうがいいと考えています。
実は私も、修士・博士課程ではヒト由来物質について研究をしていました。死体解剖保存法や臓器移植法といった既存の法律はありますが、受精胚や精子・卵子といった次世代につながっていく生体組織に適用される法律は、やはりまだありません。それを検討したことが私の現在のテーマにつながっています。例えば、個人からもらった血液からiPS細胞の細胞株を作り、大量に培養して日本各地の大学や研究機関で使用できるようにした場合。元の血液だけなら所有権の譲渡とすれば済むのですが、もし培養細胞から生殖細胞ができたら、どう考えるのか。
──先生の研究テーマでは、いろいろなケースを想像することが非常に重要ですね。
原田 おっしゃる通りです。生殖補助医療は体外受精で生まれた子どもの未来を考えるフェーズにもう入っていて、成長してから自分の出自を知る権利について、今話し合われています。既に確立しているけれど、まだそれによって生まれた子どもはいない技術の適用についても、今後を想像していく必要があります。そういう意味では常に勉強し、考え続けなければいけないし、完成することはないテーマですね。
禁止や制限だけではない法律だからできる役目
──新しい医療技術にその都度、適切な法律が求められるのは、クローン技術や優生思想などを暴走させないためのブレーキが必要だからでしょうか。
原田 どんな技術でも新たに誕生すると、本当にヒトに対して使ってよいのか議論になりますよね。法学の切り口ではむしろその後、安全性や有効性が確かめられて普及し始めた時に、社会の中でどう位置付けられるべきかという倫理的な議論が始まります。法律にはただ禁止や制限を設けるだけではなく、その技術をさらに推進して、その恩恵を享受し、幸福な人が社会に増えるよう後押ししていく、アクセルの役目もあるんです。
だからこそ、その技術によって法的に利益を失う人がいないようにしたい。技術の発展とそういう枠組みの整備が一緒に進むのが望ましい形ですので、貢献できることがあれば、たとえ微力でも役立ちたいです。例えば、ドナー提供の体外受精で生まれ、成長した人が、自分の命のルーツを知りたいのに手段がない、となった時には、精子・卵子・胚の情報を適切に管理保管して開示する制度や法律が必要になるでしょう。さまざまな立場の人が集まって動かせることならば、私はそこに法学の研究者として関わりたいと心から望んでいます。
──直近では、どんな研究をされているのでしょうか。
原田 現在、アンケートやインタビューによる生殖補助医療の実態調査を進めています。実際に医療を行っている医師を対象にした調査は、これまで実施してきたのですが、今進めているのは当事者、つまり患者さんへの調査です。今後は※胚培養士や助産師に対しても調査を行う予定です。法学分野としては少し異端なアプローチかもしれませんが。
※胚培養士
主に不妊治療において、体外で精子と卵子を受精させて母体に戻すまでの過程で、胚凍結や培養などを行う専門職。
──ちなみに、大学や大学院で法律を学ばれていた頃、弁護士など法曹職を目指す選択肢はなかったのですか。
原田 それが、早い段階から法曹三者(検察官・裁判官・弁護士)は考えてはおらず……。もちろん素晴らしい仕事ですし、尊敬する方もたくさんいますが、やはり私自身は研究に魅力を感じました。研究者は弁護士のように、トラブルに巻き込まれた人を個別に救うことはできません。でも、研究の成果が形になったらの話ではありますが、それによって縁の下から社会を底上げし、その問題で困る人がいない社会構造へと少しずつ近づけていくことができる。それも、研究という仕事の魅力だと思っています。

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